ハッピーハロウィン!! どうも、シムラです。
もうすぐハロウィンですね。日本にもハロウィンが定着して久しく、この季節には仮装をした人たちが街で練り歩いたり、お菓子を配ったりする姿を見るのは珍しくありません。
そんなハロウィンに欠かせないのが、オレンジ色のカボチャのランタンです。顔のように目や口がくり抜かれているあのカボチャは、「ジャック・オ・ランタン」と呼ばれています。
▲ハロウィンでおなじみの「ジャック・オ・ランタン」。火を灯すために使われる
ジャックとは誰なのでしょう? そしてなぜカボチャなのでしょうか?
実は、本来「ジャック・オ・ランタン」はカボチャで作るものではなかったのです。調べてみると、そこには意外な歴史がありました。
ハロウィンに火を灯すのは「死者の霊」のため
ハロウィンにはアメリカで盛んなイメージが強いかもしれませんが、もともとはケルト人(アイルランドなどに住んでいる民族)の収穫期の終わりを祝うお祭りです。
また、古代ケルトの暦では、10月31日は一年間の最後日で、死者の霊が訪れる日とされていました。ざっくり解釈すれば、ハロウィンは収穫祭と大晦日とお盆が合体したようなイベントといえるかもしれません。
▲1832年ころのアイルランドのハロウィンの夜の様子を描いた絵画(ダニエル・マクリース作)
街にやってくる死者の霊を導き、悪霊をはらうために、ハロウィンには火を焚く風習が生まれたといわれています。
しかし、あのカボチャのランタンに火を灯すようになったのは、なぜなのでしょうか。
もともとはカボチャじゃなかった
「ジャック・オ・ランタン」には、「ジャック」という男の伝承が関わっています。
ジャックは、アイルランドの伝承に登場する、ずるがしこい男。生前に悪魔を騙して、「ジャックの魂は奪わない」と悪魔に約束させることに成功しました。しかしその結果、自堕落なジャックは天国にも行けず、地獄にも受け入れられず、死後どこにもいけなくなってしまいました。
一説によると、悪魔に分けてもらった灯をカブをくり抜いたランタンに入れて持ち、行く当てもなくさまようジャックの姿が「ジャック・オ・ランタン」の起源となったとされています。
▲カブで作られたアイルランドのジャック・オ・ランタン via Wikimedia Commons rannṗáirtí anaiṫnid CC BY-SA 3.0
この説のように、ケルト人のもともとの文化では、ジャック・オ・ランタンはカブで作られていました。これはジャックがカブのランタンを持ってさまよったという伝承のほか、「カブ好きでカブ畑を盗んで荒らした」「魂を奪いに来た死神の使いをカブ畑に埋めた」などと伝わる、カブに因縁が深い男だったからという説もあります。
また、ケルト人が多く住むアイルランドやスコットランドでは、カブは身近な野菜でもありました。
ハロウィンでは、火を焚く風習とこのジャックの伝承が合わさり、善霊が迷うことなく家へ辿り着き、悪霊をはらうための灯りとしてジャック・オ・ランタンを飾るようになったようです。
なぜ「カボチャ」になったのか
ジャック・オ・ランタンをカボチャで作るようになったのは、ハロウィンがアメリカに伝わってからでした。その契機となったのは、19世紀中盤にアイルランドで起きたジャガイモ飢饉です。
ジャガイモの不作によるこの飢饉は、ジャガイモを主食としていたアイルランドを食糧難に陥れ、一部のアイルランド人は危機を脱するためにアメリカへと移住しました。その結果、アメリカにハロウィンの文化が伝わったのです。
▲移民として旅立つ者を見送る人々(1868年、ヘンリー・エドワード・ドイル作)
しかし、アメリカではカブは馴染み深い野菜ではありません。そこで、アメリカで秋によく収穫されるカボチャで代用したというのが今日に伝わるハロウィンのカボチャのはじまりです。加えて、アメリカではカボチャが登場する都市伝説「スリーピー・ホロウ」などを通して、カボチャに不気味なイメージが結びついていたことも影響しているようです。
つまり、ハロウィンにカボチャのランタンを用いるのは、異なる文化の融合の結果だったのです。
ちなみに、日本では1970年代からハロウィンを商機とする企業が出始めていましたが、一気にハロウィンの認知度が高まったのは映画『E.T.』の影響が大きいといわれています。文化というのは、ひょんなことから世界へと広まっていくものですね。