こんにちは、鹿野です。
「国」に対する「國」、「沢」に対する「澤」などは旧字体と呼ばれています。「旧字体」という言葉自体を知らなくても、「昔は今とは違う漢字の書き方もあった」くらいはなんとなく知っているよ、という方は多いと思います。
▲この記事ではKが旧字体、Sが新字体であるとき「K/S」と表すものとします
しかし残念なことに、漢字が好きでも「旧字体」のことを雰囲気でしか理解しておらず、「古い漢字」程度にしか捉えていない人がほとんどです。そのため、以下のような勘違いをする人が非常に多くいます。
▲よく見かけるが実は全部間違い
これらの発言はなぜ間違いなのでしょうか?
目次
◎意外と知らない「旧字体」の定義
◎「旧字体」の定義における注意点
◎誤解①:新字体は戦後日本でまとめて作られた
◎誤解②:戦前日本では専ら旧字体が使われていた
◎誤解③:新字体は旧字体を変化させてできた
◎旧字体と誤解されやすい漢字
◎おわりに
◎まとめ
意外と知らない「旧字体」の定義
旧字体に関する誤解が生まれる一番の原因は、「旧字体」という用語を雰囲気でしか理解していないことです。まずは用語の定義を確認しましょう。
旧字体の定義は、およそ以下の通りです。
▲旧字体の大体の定義
ここで「およそ」「大体」という歯切れの悪い言い方をしているのは、実は常用漢字表などでは「旧字体」という言葉は用いられておらず、はっきりとした定義がないからです。
しかし、ほとんどの辞書では条件①②の両方を満たすものを旧字体として載せており、また辞書によって何を旧字体とするかはそこまで大きく変わらない(※3)ので、条件①②を旧字体の定義だと考えてもらっても、基本的には問題ありません。
ちなみに条件②は(a)(b)のいずれかを満たせば良いですが、実は(a)(b)の一方を満たせばもう一方も満たすことが多いです。実際、常用漢字表には以下のようなことが書かれています。
丸括弧に入れて添えたものは,いわゆる康熙字典体(※4)である。これは,明治以来行われてきた活字の字体とのつながりを示すために参考として添えたものであるが,著しい差異のないものは省いた。
「旧字体」の定義における注意点
旧字体の定義からわかる通り、以下の条件を満たすかどうかは、ある漢字が旧字体であるかどうかに全く関係がありません。
▲これらは後ほど具体例を挙げて解説します
「旧」「新」という字が含まれていてややこしいかもしれませんが、ある漢字が旧字体・新字体であるかどうかには、「常用漢字かどうか」「1945年頃までの日本の活字において標準的・規範的であったかどうか」といったことのみが関係しているので、注意が必要です。
以降は、旧字体・新字体について勘違いされやすいことを、具体的な漢字を挙げながら解説していきます。
誤解①:新字体は戦後日本でまとめて作られた
結論から先に言うと、新字体はすべて戦前に存在していました(※5)。したがって当用漢字表(1946)や当用漢字字体表(1949)、常用漢字表(1981, 2010)を作成する際に新字体が新たに作られたわけではなく、基本的には元からあった字体を標準的なものとして採用したというだけです(※6)。
一 簡易字体については、現在慣用されているものの中から採用し、これを本体として、参考のため原字をその下に掲げた。
ただし「新字体がいつ頃出現したか」「戦前に新字体がどれくらいの頻度で使われたか」などは、漢字によって大きく異なります。例えば「來」の新字体である「来」は遅くとも二千年ほど前から中国で用例がありますが、「疊」の新字体である「畳」は戦前の用例がほとんどありません(※7)。
また新字体の中には、「万」「来」のように中国で作られたと考えられているものと、「円」「広」のように日本で作られたと考えられているものの両方があります。なお、新字体の中には現在中国で標準的に用いられている簡体字と異なるものも多くありますが、それらがすべて日本製であるとは限りません(例:「仏」「竜」)。
誤解②:戦前日本では専ら旧字体が使われていた
芥川龍之介『河童』(1927)の手稿からいくつか漢字をピックアップし、活字と比較してみます。
左側にある手書きの原稿では旧字体や新字体、またそのどちらでもない字体が混在していることがわかります。また活字のほうは旧字体が多いですが、新字体の「並」も含まれています(※8)。
このように、戦前も新字体は用いられていました。
とはいえ、やはり戦前(・戦中)の日本では「旧字体が規範的な字体である」という意識がある程度あったようです。例えば1942年の標準漢字表(※9)では、「澤」「萬」に対する「沢」「万」といった簡易字体は使用されるべきであるとしていますが、最後のほうに「天皇の名前等には簡易字体を使用しない」という旨の記述があります。
皇室典範、帝國(国)憲法、歷(歴)代天皇ノ御追號(号)、詔勅ヲ印刷マタハ書寫(写)スル場合ニハ、簡易字体ヲ使用シナイ。
▲ちなみに、よく見ると「体」「勅」は新字体になっている
誤解③:新字体は旧字体を変化させてできた
旧字体の一部を省略したり、別のパーツに置き換えてできた新字体は多くあります。しかし、すべての新字体がそうであるとは限りません。ここでは「者/者」を例に挙げて説明します。
▲左が旧字体、右が新字体
「者」の旧字体は「者」です。新字体は旧字体よりも点が1つ少ないだけであり、また点のある「者」は「奢(おごる)」「屠(ほふる)」といった難しめの漢字で見かけるため、「旧字体の「者」から点を省略して新字体の「者」が作られた」と思われがちです。しかし実際はどちらかといえば逆です。
実は日本でも中国でも、楷書では古くから点のない「者」と書くのが一般的でした。ところが中国では、『説文解字』という古い字書の記述に従って字形を正そうとすることがしばしばありました。「者」についても、『説文解字』にある「「者」の下部は「白」から来ている」という旨の(誤った)説明(※10)をもとにして、点のある字体が生まれたと考えられます。
そして明朝体活字を作る際の参考になっている『康熙字典』もこの流れを汲んだ字体を採用しており、戦前日本の活字では点がある「者」が多く見られました。
このことからわかるように、新字体は旧字体から派生してできたとは限りませんし、新字体のほうが初出が早いこともあります。みなさんが思っているよりも旧字体は古くなく、また新字体もそこまで新しいとは限らないということを覚えておいてください。さらに旧字体のほうが漢字の成り立ちから見て正当性が高いとは限らないという点にも気をつける必要があります。
なお他にも「懷/懐」「靑/青」「內/内」などは、伝統的な楷書では新字体(に近い字体)で書かれます。また「廣/広」「敕/勅」「經/経」のように、伝統的な楷書では旧字体と新字体のどちらとも異なる形で書かれる字もあります。
▲「廣/広」「敕/勅」「經/経」の伝統的な楷書体
旧字体と誤解されやすい漢字
ある漢字が旧字体であるかどうかは、基本的には漢字辞典を引けば簡単にわかります。しかしそれでもなお、旧字体であると誤解されやすい漢字がいくつか存在するので、ここではそれらがなぜ旧字体と呼ばれないのかを簡単に説明します。
「攪」「濤」は「撹」「涛」の旧字体ではない
「覺」「壽」はそれぞれ「覚」「寿」の旧字体です。しかし常用漢字(・人名用漢字)以外に対しては旧字体・新字体という言葉は使わないので、「攪」「濤」は「撹」「涛」の旧字体ではありません。
ただし「撹」「涛」などは「拡張新字体」と呼ばれることがあります。
「髙」「﨑」は「高」「崎」の旧字体ではない
「髙」「﨑」は名字で見かけることの多い漢字です。しかし戦前の活字で「髙」「﨑」がよく使われていたわけではなく、また常用漢字表で「高(髙)」などと書かれているわけではないため、これらは旧字体ではありません。
「髙」「﨑」のように、現在の一般的な表記から離れている字体であるからといって、それらがすべて旧字体であるとは限りません。
なお上述の通り「攪」「髙」は「撹」「高」の旧字体ではありませんが、異体字ではあります。「異体字」は、意味や読みは同じで形が異なる字のことで、旧字・新字・正字・俗字などを包摂しています。
おわりに
既に言及した通り、旧字体・新字体についての誤解が多い理由として、
・「者/者」のように、複雑なほうを本来の字だと勘違いしてしまう
などが考えられます。実はこれらは旧字体・新字体以外に対しても言えることで、十分に注意する必要があります。
例えば中国で用いられている繁体字・簡体字について、その字面から「簡体字は繁体字を簡略化して作られた」と勘違いする人がいますが、実際は繁体字より初出の早い簡体字も多くあります。
また「ていねい」には少なくとも「丁寧」「叮嚀」という2通りの表記がありますが、実はより簡単で一般的な「丁寧」のほうが初出が早いといわれています。一般に漢字は簡略化と複雑化を繰り返しているため、普段見慣れない複雑な表記だからといって、それが本来の表記であるとは限らないのです。
まとめ
◎旧字体・新字体は、常用漢字に対してのみ使われる言葉
◎旧字体は1945年頃までの日本の活字でよく使われた
◎新字体は戦前から存在しており、日本製・中国製のもの両方が存在
◎旧字体が略されて新字体ができたとは限らない
◎旧字体が新字体よりも歴史が古いとは限らない
※1^ただし、人名用漢字に対しても「旧字体」という言葉を使うことがまれにあります。
※2^ 新字体が大幅に新しく採用されたのは当用漢字字体表(1949)ですが、簡易的な字体を採用しようという動きは戦前からあり、常用漢字表(1931)、標準漢字表(1942)、当用漢字表(1946)、当用漢字字体表(1949)、常用漢字表(1981)などを経て増えていきました。活字に関しても同様で、終戦(1945)を境に旧字体から新字体に急に切り替わったわけではありません。
※3^ただし辞書などによって何を旧字体とするかは微妙に異なることがあります。特に「戶/戸」や「(上から「口」「丿」「土」と書く)呈/呈」、「(点の向きが「ハ」になっている)平/平」のように、筆画の向きが少し変わっているだけのものについては、常用漢字表では言及されていないものの、一部の辞書では旧字体として扱われています。
※4^ここで単に「康熙字典体」ではなく「いわゆる康熙字典体」となっているのは、常用漢字表で丸括弧の中に書かれている字体の中には、『康熙字典』と異なるものも存在するからです。このことは常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)第3章Q8に詳しく書かれています。
※5^「新字体という呼び方が戦前からあった」という意味ではなく、「今で言う新字体と同じ形の字が戦前からあった」という意味です。以降も同様です。
※6^例えば「雪」については、字体選出にかかわった人物が「中国ではもともと「雪(※ヨの中の横線が右に突き出る)」ですよね。これなんか、いじらなくてよかったと言われるわけ。こんなところ変える必要なかった。それはなんで変えたかというと、当用漢字が示された時に、「當」の字を「当」と示した。そのために「ヨ(※中の横線が右に突き出る)」をみんな「ヨ」にしようということにしちゃった。」という、突き出ない形の「雪」は新しく作られたとも取れる発言をしています。しかし実際は、突き出ない形の「雪」は古くから楷書では一般的でした。 筆者が調べた限りでは、この「雪」の例や後述する「畳」などの例について、過去の用例を知った上で新字体が採用されたのか、あるいは過去の用例と一致したのが偶然なのかはわかりませんでしたが、少なくとも戦前に新字体の用例があったことや、字体の選出時に「全く新しい字を作り出さない」という原則があったことは確かです。
※7^笹原宏之『日本の漢字』では「唯一、戦後に造られた略字が、「畳」であると言われてきた(中略)。しかしそれさえも最近、手書きで戦前に使われている例を見つけることができたのである。」とあり、永井荷風『断腸亭日乗』における「畳」の用例を挙げています。
※8^ちなみに『芥川竜之介全集』第5巻では、「並」の旧字体である「竝」も見られます。
※9^国語審議会が1942年に文部大臣に答申したもので、漢字が使用頻度などの観点から「常用漢字」「準常用漢字」「特別漢字」の3つに分けて記されています。この「標準漢字表」などを参考にして戦後「当用漢字表」が作られ、さらに当用漢字表をもとに「常用漢字表」が作られました。
※10^「者」に限らず、『説文解字』には漢字の成り立ちに関して誤りが多く含まれています。
【主な参考文献】
芥川龍之介『河童』,https://dl.ndl.go.jp/pid/2541083/1/1,1927年.
『芥川竜之介全集』第5巻,岩波書店,https://dl.ndl.go.jp/pid/1223271/1/139,1934-1935年.
阿辻哲次『戦後日本漢字史』,筑摩書房,2020年.
江守賢治『解説字体辞典』,三省堂,1986年.
季旭昇撰『說文新證』,藝文印書館,2014年.
裘錫圭著,稲畑耕一郎・崎川隆・荻野友範訳『中国漢字学講義』,東方書店,2022年.
笹原宏之『日本の漢字』,岩波書店,2006年.
日本漢字学会編『漢字文化事典』,丸善出版,2023年.
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