解説
正解は「ナポレオン(・ボナパルト)」でした。
▲ジャック=ルイ・ダヴィッド『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト』
ヒント1:ベートーヴェンの曲『英雄』は彼のために作られた
18世紀末のフランス革命後間もない頃、ナポレオンは王や貴族がのさばる旧体制を崩したことで、「自由・平等・友愛」の理念を広げる者としてヨーロッパの人々の期待を集めていました。ベートーヴェンもそんなナポレオンに期待を寄せる一人で、交響曲第3番は当初、ナポレオンの名字である『ボナパルト』と名付けられる予定だったといわれます。
しかし、ナポレオンは1804年に皇帝に即位しました。これを聞いたベートーヴェンは「結局権力に目がくらんだのか」と激怒し、作品の表紙に書かれていたナポレオンへの言葉と『ボナパルト』というタイトルを削り取ってしまい、副題を単に「Eroica(英雄)」としたのです。
その後、ベートーヴェンは住んでいたウィーンがフランス軍に攻められるなど戦禍に巻き込まれ、ナポレオンへの失望をさらに深めていきました。1813年にはナポレオンが敗北した戦いを題材に『ウェリントンの勝利』という曲も作っています。
ヒント2:遠征中に古代エジプト語解明のカギ・ロゼッタストーンを発見
ロゼッタストーンは、ギリシア文字と2種類の古代エジプト文字(ヒエログリフとデモティック)で同一の内容が刻まれた石碑です。ナポレオンのエジプト遠征時に発見され、フランスの学者・シャンポリオンによるヒエログリフ解読の手がかりとなったことで、古代エジプト学が大きく進展したとされています。
ところでナポレオンのエジプト遠征は、もともとはイギリスを牽制するための軍事行動でした。しかし、イギリスの提督・ネルソンによって海軍が撃滅されたことで、軍事行動としては失敗に終わります。このときナポレオンを苦しめたネルソンは、後にトラファルガーの海戦で再びナポレオンの攻撃からイギリスを守り、英雄として慕われることになるのです。
▲ホレーショ・ネルソン。「世界三大提督」のひとりに数えられる
ヒント3:フランス革命後に皇帝として即位
フランス革命後の1804年、ナポレオンはフランス皇帝として即位しました。
▲ジャック=ルイ・ダヴィッド『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』
ナポレオンは対外戦争だけでなく、教育制度の整備やナポレオン法典の制定など、内政にも力を入れています。特に、ナポレオン法典はその後の各国の法典の模範となりました。日本の現行民法にも間接的ながら影響を与えています。
その後、戦争で敗北したことでナポレオンは失脚します。ナポレオンの帝政の後、ブルボン家・オルレアン家による王政、さらに共和政を経て、1852年には再びフランスに皇帝が出現します。彼の名前はナポレオン3世。この記事で扱ってきたナポレオン1世の甥にあたる人物です。
ナポレオンは侵略戦争を引き起こした一方で、法典の整備などでヨーロッパの秩序を大きく変化させました。個人的にはナポレオンはまさに一人で歴史を進めた人物だなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます! ぜひ次回の「今日の一問 社会編」にも挑戦してくださいね!