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1ページ目:クイズを解きたい方はこちらから! 以下は問題の答えと解説です

解説

正解は東郷とうごう平八郎へいはちろうでした。日清戦争及び日露戦争で活躍した海軍軍人です。

▲若き日の東郷平八郎

ヒント1:トルコでも有名な人物

かつてロシアは、冬でも凍らない港を求めて勢力を南に広げようとする政策をとっていました。そのため、西アジアではトルコ(当時のオスマン帝国)とたびたび戦争を行い、東アジアでも日本との対立を深めていきました。1904年にはついに日本とロシアの戦争も起きてしまいます。この日露戦争で活躍した東郷平八郎は、トルコでもたたえられました。

▲トルコのみならず世界を驚かせた東郷。日本人として初めて雑誌『TIME』の表紙を飾った

1905年にトルコで生まれた子どもには「トーゴー」という名前が付けられることも少なくありませんでした。その中には東郷平八郎と同じく、海軍の提督になった人もいたようです。

ヒント2:後の昭和天皇の教育に関わる

昭和天皇の教育にあたっては、「将来の天皇には軍事教育も必要である」とされ、そのための学問所を作るという構想がありました。結局、軍事的色彩は弱められましたが、この構想をもとに皇太子を教育するための東宮御学問所が作られました。そして、その総裁となったのが、すでに一線を退いていたものの軍人として名声の高かった東郷でした。

しかし、東宮御学問所が開設される直前、昭和天皇の祖母が亡くなってしまいます。学問所の開所式に際しても昭和天皇のお気持ちは沈んだままでした。東郷は、そんな昭和天皇を厳かな言葉で激励したといいます。東郷はその後7年間、昭和天皇の教育に尽力しました。

ヒント3:日本海海戦でバルチック艦隊に勝利

日本海海戦は日露戦争の中で行われた戦いで、東郷平八郎率いる日本軍が、当時世界最強といわれていたロシアのバルチック艦隊をほとんど壊滅させたことで知られています。この戦いの勝利によって講和の道が開かれ、約3か月後には日本とロシアがポーツマス条約を結び日露戦争は終結しました。

日本海海戦での日本の勝因は様々なものがあると考えられています。日本海軍の速力が優位だったこと、砲撃が熟練していたこと、日本が開発した火薬の威力が高かったことなどが挙げられます。「東郷ターン」と呼ばれる大胆な戦術もしばしば勝因といわれますが、これはいくつかの誤算も重なった上でのギリギリの判断だったようです。

▲日本海海戦で指揮をとる東郷平八郎


実は若き日の東郷は7年もイギリスに留学しています。日本海海戦での決断力は見習いたいものですが、そこに至るまでの勉学の積み重ねも忘れないようにしたいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございます! ぜひ次回の「今日の一問・社会編」にも挑戦してくださいね!

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この記事を書いた人

藤島

東京大学理学部4年生で、生物学を専攻しています。好きなことは歴史、生き物。趣味は読書などです。新しい分野を知る第一歩になれるような記事を書けるように頑張ります。

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