こんにちは! 猫派の田又です。みなさんも猫はお好きですか?
癒やしを求めて、猫の写真や動画をついつい見てしまいますよね~

猫のかわいさに惹かれるのは、今も昔も変わらなかったようです。写真や動画のない時代から、猫はたびたび絵に描かれてきました。
たとえば、こちらの絵。

こちらは江戸時代に、私の地元群馬県で描かれた「新田猫絵」と呼ばれる猫絵です。
でもこの猫絵、ただ「癒やし」や「かわいい」だけを求めて描かれたものではないんです。
今回は、新田猫絵が描かれた意外な背景を紹介していきます。
この記事を最後まで読むと、かわいい猫絵に隠された「かわいいだけじゃない」歴史を知れること間違いなし!
むかしむかし、あるところに……?

今回のお話の舞台は、江戸時代後期の上野国(現在の群馬県)周辺です。
上野国周辺は、カイコを育てて生糸をとる「養蚕」が盛んな地域でした。群馬県の養蚕といえば、明治5年(1872)に操業を開始した、世界遺産の富岡製糸場が特に有名ですね。

養蚕で生計を立てる養蚕農家の大敵が、カイコを食べてしまうネズミでした。
埼玉県所沢市(かつての武蔵国)にあるお寺には、鎌倉幕府を滅ぼしたものの足利尊氏と対立して戦死した新田義貞をはじめとする新田氏の武士が、ネズミに姿を変え亡霊となって作物を荒らしたという伝承が残されています。
猫絵の殿様登場!

「猫がネズミを追いかける」という本能的な習性は今でもよく知られていますね。当時の養蚕書にも、ネズミを追い払うために猫を飼うべきという記述が見られます。
とはいえ、猫を飼うだけでは安心できなかった養蚕農家がいたのかもしれません。養蚕農家たちにとってカイコが食べられてしまうことは、1年の収入を左右する一大事。ネズミ対策は何重にもしておきたかったのでしょう。
そのころ、上野国新田郡下田嶋村(現在の群馬県太田市)には岩松氏というお殿様が屋敷を構えていました。
岩松氏は、足利氏と新田氏の血を引く氏族で、徳川家から大名と同格の扱いを受けていましたが、石高はわずか120石と少なく、苦しい家計を支えるために絵を描いていたと考えられています。
猫絵を描き始めたのは、岩松氏18代当主の温純でした。温純が描いた猫絵が、冒頭でも紹介したこちら。何ともいえない、非常に愛くるしい猫ちゃんですね。

岩松氏の猫絵は、本物の猫のようにネズミを捕まえてくれるわけではありません。それでも、新田義貞の末裔であるお殿様が描く絵とあって、ネズミよけの「おまじない」として上野国を中心に、武蔵国や信濃国(現在の長野県)などでも人気を博していきます。
描き続けられる猫絵
新田猫絵の特徴的な点として、岩松氏の当主によって代々描き続けられた点が挙げられます。
先ほど紹介した18代温純に続けて、19代徳純、20代道純、21代俊純まで4代のお殿様が約100年間にわたって猫絵を描き続けました。
4人のお殿様の猫絵を並べるとこのような感じになります。お殿様ごとにタッチが違うのも面白いですね。

かわいい新田猫絵と、猫絵に隠された歴史について詳しくなれたでしょうか?
今回記事で使用した新田猫絵は、群馬県立歴史博物館から写真の提供を受けました。2026年10月現在は、徳純が描いた猫絵が常設展示室で展示されています。11月23日まで同館で開催中の企画展「現代によみがえる能装束 ―縫の精緻 箔の輝き―」でも、4枚の猫絵を見学することができます。
【企画展開催中】 9/18(金)~11/23(月・祝) 第115回企画展「現代(いま)によみがえる能装束 ―縫の精緻 箔の輝き―」開催中! 詳細はこちら → https://t.co/S2VOmjfXWp https://t.co/g5bdhKuqVI
— 群馬県立歴史博物館 (@Gunma_Rekihaku) September 18, 2026
本物の猫絵が見てみたくなった方は、ぜひ訪れてくださいね。
それでは最後に新田猫絵に関するクイズです!
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