解説
正解は渋沢栄一でした。
ヒント1:自身を襲った暴漢を援助
渋沢が暴漢に襲撃される事件が起きたのは1892年のことです。当時渋沢は東京市の水道敷設に際して、外国製の水道管を使用すべきと主張し、日本製の水道管を使用すべきと主張する人々と揉めていました。このため、日本製派であった遠武秀行という人物が、外国製派の渋沢を失脚させるために暴漢を差し向けたのではないかとの噂が流れました。
その噂を聞いた渋沢は、このままでは遠武の信用が失われて実業界を追われてしまうかもしれないと気の毒に思い、仲介者を立てて彼と面会・談笑したことで、噂を払拭することに成功しました。また、自身を襲った暴漢のうちの一人が出所した際、彼がお金に困っていることを聞いて、人を介してお金を送ったというのです。
渋沢は「利益の追求と道徳を両立すべきだ」という内容の『論語と算盤』という著書を残しており、孔子の教えを広めた『論語』の教えを非常に重要視していました。自身を襲撃させたかもしれない人どころか、実際に襲撃した張本人すら許して援助までしたというのは、孔子の道徳の根本原理である「仁」、すなわち広く人や物を愛することを実践したエピソードだと言えるでしょう。
ヒント2:「天譴 論」を主張
関東大震災は1923年9月1日に発生した巨大地震に伴う災害で、今年(2023年)は発生から100年の節目にあたります。発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから各地で火災が起き、10万人以上の死者・行方不明者を出す未曽有の大災害となりました。渋沢栄一はこの震災の被災者のために奔走したことで知られていますが、実は関東大震災について一貫して「天譴論」を主張していたのです。
「天譴」とは、天上にいる神が不届きな者に与える罰のことです。渋沢は当時の日本の政界・経済界の乱れや風俗の退廃を指摘し、利己主義や第一次世界大戦後の贅沢な暮らしがはびこる日本国民に警鐘を鳴らすために、天上にいる神が関東大震災を起こしたのだと唱えました。この考えは内村鑑三をはじめとする多くの知識人から支持を集めましたが、芥川龍之介や菊池寛などからは「非科学的である」と批判されました。
現在なら猛批判を浴びそうな言説ですが、政治学者の浮田和民らは、日本が古くから地震の多い国であったにもかかわらず、都市計画や耐震・耐火建築といった対策から目を背けた結果、東京は木造建築が密集する危険な都市になってしまい、これが大きな被害をもたらす原因になったと指摘しています。そして都市計画の不備を生んだのが、日本人の利己主義だというのです。
渋沢の天譴論も、単に天罰と決めつけたのではなく、こうした利己主義や退廃的な風潮への反省を促す意図があったのかもしれません。
ヒント3:新一万円札の肖像
渋沢は来年(2024年)から発行される予定の新一万円札の肖像画に選ばれました。500を超える銀行や会社の設立に携わり、「日本資本主義の父」と称される渋沢について、財務省は「日々の生活に欠かせず、私たちが毎日のように手に取り、目にする紙幣の肖像としてふさわしいと考えています」とコメントしています。
▲新一万円札の見本 via Wikimedia Commons 独立行政法人 国立印刷局 , CC BY 4.0
実は渋沢が紙幣の肖像画に選ばれるのは2度目のこと。1902年から1904年に発行された大韓帝国最初の紙幣の肖像画に選ばれているのです。これは渋沢が頭取を務めていた第一銀行の韓国支店が、朝鮮半島への影響力を強めるロシアに対抗すべく発行した「無記名式一覧払い約束手形」で、元は紙幣ではなかったのですが、後に正式な紙幣として大韓帝国政府が認めることになりました。こうした歴史もあり、渋沢が新一万円札の肖像画に選ばれた際、韓国メディアでは批判的に報じられました。
また日本国内では、渋沢が1963年発行の千円札の肖像画の候補になった事もありますが、最終的には伊藤博文が肖像画に選ばれています。決め手になったのは、なんとヒゲの有無。ヒゲやしわが多い人ほど肖像画が複雑になって偽造しにくいということから、ヒゲの無い渋沢は落選したというのです。しかし今日では、透かしやホログラムなど偽造防止技術が高度化したことで、ヒゲのない人でも肖像画に選ばれるようになっています。
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