解説
正解は「ソクラテス」でした。
ヒント1:若者たちを堕落させたとして死刑に
ソクラテスは、古代ギリシアを代表する哲学者です。ソクラテスは無知を自覚することに重きを置きました。これを「無知の知」といいます。彼はこの思想を広めるため、問答によって相手に無知を自覚させる「問答法」という手法を用いました。
しかし、この問答で無知を知らしめられた人の中には、「恥をかかされた」と感じた人もいたようです。
ソクラテスを支持する若者の一部は、彼と同じように有力者に問答をしかけました。これが「若者を堕落させた」とされ、ソクラテスは裁判にかけられて死刑判決を受けてしまいます。最期は自ら毒を飲んで亡くなりました。なお、このときソクラテスは判決を受け入れて「悪法もまた法なり」と言ったという逸話が残っています。しかし、生前のソクラテスはむしろ法の欠点を指摘したこともあったようで、近年では疑問視されています。
ヒント2:著作を一切残さなかった
議論を重んじていたソクラテスは自分の考えを著作に残しませんでした。そのため、ソクラテスの思想は主に弟子の書いた本をもとに読み解かれています。プラトンの『対話篇』やクセノフォンの『ソクラテスの思い出』が、その代表的な書籍です。
しかし、弟子たちが書き残したソクラテスの姿はそれぞれ異なっているため、正確なソクラテスの姿を正確にとらえるのは難しい問題です。これは「ソクラテス問題」と呼ばれ、長年多くの人々に研究されてきました。
余談ですが、同時代を生きた古代ギリシアの喜劇詩人アリストファネスも、ソクラテスについて次のような記述を残しています。
「大股で歩き、左右を横目で睨み、裸足でいて、いかなる災いにも動じない厳めしさを持つ」
なかなかのインパクトで、哲学者という職業とは違う印象を受けますね。
ヒント3:弟子にプラトンを持った
ソクラテスは弟子にプラトンを持ちました。プラトンも古代ギリシアを代表する哲学者です。プラトンはもともと政治に関心を持っていましたが、ソクラテスとの交流によって哲学の道へ進みます。彼は師のソクラテスとは対照的に多くの著作を残しました。主な著書に『国家』や『ソクラテスの弁明』があります。
プラトンはアテネの郊外にアカデメイアという学園を開き、各地から青年を集めて教育を行いました。この「アカデメイア」が「アカデミー」の語源です。プラトンは80歳で亡くなるまで、ここで研究と教育に没頭しました。そのアカデメイアで教育を受けた代表的な人物が、「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスです。
ソクラテスの思想の中では、私は「善く生きる」というものが好きです。ソクラテスの思想は広く深く、調べると皆さんの心にも響く教えが見つかるかもしれません。
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