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解説

正解は「スペイン」でした。

ヒント1:フランシスコ・デ・スルバラン『カディス防衛』

1625年、大西洋に臨むスペインの港湾都市カディスに、8000人のイギリス艦隊が攻め込んできます。対するスペイン側の守備隊はわずか600人程度。「無敵艦隊」の敗北から約40年、没落し始めたスペインには荷が重すぎる戦闘でしたが、なんとスペイン軍はイギリス軍を退けることに成功したのです。これを描いたのが『カディス防衛』です。

当時首都マドリードに新たに建設されていた宮殿には、スペイン・ハプスブルク家の栄光を称える12点の絵画が飾られることになっていました。スルバランは宮廷画家であったベラスケスに招かれ、この歴史的勝利を作品にして献上したのです。

しかし、椅子に腰かけた指揮官の指示を聞く将軍たちは、片足を前に出した肖像画のようなポーズを取っており、戦争画にしてはいささか緊迫感に欠けるようにも思えます。元々セビリアの修道院で主に宗教画を描いていたスルバランは、慎ましく敬虔けいけんな作品を得意としていました。彼は「王付き画家」の称号を手にしながらも、作風が合わなかったのか、わずか半年ほどでセビリアに戻っています。

ヒント2:フランシスコ・デ・ゴヤ『1808年5月3日』

1808年5月2日、フランス皇帝ナポレオン1世による占領を受けていたスペインの首都マドリードで、市民による蜂起が発生しました。スペイン独立戦争の始まりです。ところが、ろくな武器も持たない一般市民による蜂起はあっけなく鎮圧され、翌3日にかけて無差別に近い報復措置が行われました。これを描いたのが、ゴヤの『1808年5月3日』です。

中央の男性は、潔白を示すかのような白い服に身を包み、はりつけにされたキリストのように両手を挙げています。加えて右手には聖痕磔刑たっけいに処されたキリストと同じ傷が信徒の体に現れる現象)が浮かび上がり、画面左端には聖母マリアのような黒い影が見えます。祖国を侵略されたゴヤの、蜂起した市民に正統性があると言わんばかりの怒りが伝わってきます。

▲(左)右手の聖痕(右)聖母マリアのような影

顔の見えない兵士に処刑される罪なき人々、というこの絵の構図は、のちの画家にも大きな影響を与え、パブロ・ピカソの『朝鮮の虐殺』や、エドゥアール・マネの『皇帝マキシミリアンの処刑』にオマージュが見られます。

▲『皇帝マキシミリアンの処刑』

ヒント3:パブロ・ピカソ『ゲルニカ』

▲実物ではなくレプリカ。ゲルニカとレプリカで韻が踏める via Wikimedia Commons Papamanila CC BY-SA 3.0

第二次世界大戦前夜、スペインではファシズムや戦争に反対する人民戦線政府が成立しますが、軍部をはじめとした政府に反対する人々が各地で反乱を起こします。これがスペイン内戦です。そんな中の1937年、反乱軍を支援するドイツ空軍とイタリア空軍によって、スペイン北部・バスク地方の町ゲルニカが爆撃されます。この悲劇への抗議を込めて、パブロ・ピカソが制作したのが『ゲルニカ』です。

逃げ惑う人、折れた剣を手に倒れる人、子の亡骸を抱えて泣き叫ぶ女性。牛も馬も人も関係なく、圧倒的暴力の下になす術もない様がありありと描かれています。1937年のパリ万博でこの絵が公開された際、関係者の中には抽象的な表現に落胆した者もいたようですが、抽象的だからこその恐ろしさが伝わってくるようです。

『ゲルニカ』は現在も戦争反対のシンボル的な作品として知られています。1995年には、『ゲルニカ』と同じ大きさのキャンバスに子どもたちが平和への願いを込めた絵を描くというプロジェクト「キッズゲルニカ」が始まり、現在も世界中で作品が制作され続けています。


ところで、ヒント1のスルバランとヒント2のゴヤはともに「フランシスコ・デ」が名前に入っていますが、ヒント3のピカソの本名にも、「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ……(長すぎるので中略)……ピカソ」と、「フランシスコ・デ」が含まれているんですよ!

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ次回の「今日の一問・美術編」にも挑戦してくださいね!

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この記事を書いた人

Raven

京都大学法学部卒。「ONE WORD, NEW DOOR」を座右の銘に、皆様が新たな世界への扉を開けるような記事を書くべく努力してきました。よければ覗いてみてください。

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