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こんにちは、1758です。

野性味あふれるアメリカンな男の象徴、それがカウボーイ。テンガロンハットをかぶって馬にまたがり、手には投げ縄。現実に目にすることはなくとも、ドラマや映画でその姿はよく知られています。

そんな「カウボーイ」という言葉に、長年疑問を抱いてきた方もいらっしゃるのでは。

「カウ(cow)」はのこと。馬に乗っているのに、どうして「ホースボーイ」ではなく「カウボーイ」なのか、と。

馬に乗って牛を飼うから「カウボーイ」

創作では銃を持って暴れ回る姿が印象的なカウボーイですが、本来の仕事は牧場で働くことでした。

馬に乗って牧牛の世話をしたことから「カウボーイ」と呼ばれるようになったのです。

南北戦争の時代に活躍

1860年代前半、アメリカでは貿易制度や奴隷の是非をめぐって国が二分され、南北戦争が勃発しました。戦乱が北軍の勝利で終結すると、アメリカ北部の諸都市では次々に市場が形成されていきます。中でも発展したのが、大きな利益を見込める牛肉市場でした。

そこで活躍したのが、南部のテキサス州などに住むカウボーイたち。秋になると牛を駆り集め、馬上で世話をしながら冬を越す。そして春になると最寄りの鉄道駅まで牛の群れを追い立て、市場へ移送する。これが彼らの主な「業務」でした。

暴れる牛たちを制するには、縄やピストルを使った荒々しい手段を使う必要もあったことでしょう。カウボーイの「荒くれ者」のイメージは、このあたりから来ているのかもしれません。

女性のカウボーイもいた

少し意外なテーマかもしれませんね。実は、カウボーイならぬ「カウガール」もかつて存在していたんです。

彼女たちの仕事は、競技場の中で馬にまたがり、射撃の腕前を披露するショーに出ること。平原で実務に励むカウボーイとは、性格を異にしています。

19世紀末以降、印刷物・写真の普及とともにカウガールたちの人気も高まりました。中でも人気を博したのがアニー・オークリーという女性。空中に投げたトランプを銃で撃つ曲芸を得意とし、ミュージカル『アニーよ銃をとれ』の題材になったことでも有名です。

カウボーイのその後

カウボーイがいたのは、西部劇でイメージされるテキサスやメキシコだけではありません。牧畜業の発展とともにグレートプレーンズ(アメリカ中西部の大平原)を越え、カナダ西部地域へと拠点を拡大していきました。

しかし、彼らの活躍はそれほど長く続きませんでした。

1885年頃になると、草原に農地が増え、牛を追って長距離を移動することが困難になりました。

さらに、1886年から87年にかけて寒波が襲い、多くの牛が野ざらしで死ぬという事件が起こります。事件を受け、放牧業者は草原の土地を有刺鉄線などで囲い、牧場に変えていきます。

これらの影響により、カウボーイは次第に役割を失い、牧場の使用人となっていきました。

そして、20世紀以降は伝説的な存在として多くのフィクションの題材となり、現在まで残る野性的・勇猛なキャラクターが定着していったのです。

自由の国・アメリカの象徴として描かれることも多いカウボーイですが、その生活は案外地道なもの。繁栄の終わりも、「仕事がなくなった」という実に現実的な理由でした。皆さんのカウボーイに対するイメージも、少し変わったのではないでしょうか。

参考文献

  • 西江雅之(2000)『伝説のアメリカン・ヒーロー』岩波書店
  • ブリタニカ国際大百科事典
  • サムエル・モリソン(1971)『アメリカの歴史 2(1815年―1900年)』集英社
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この記事を書いた人

1758

ライターネームの由来は日本史の「宝暦事件(1758年)」。大学では主に日本文学を学んでいました。

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