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前ページ:はじめから挑戦したい方はこちらへ! 以下は解答と解説です。

解答&解説

正解は宮本武蔵でした。宮本武蔵は、江戸時代初期に活躍した二刀流の剣豪です。生涯で60余りの決闘をし、そのすべてで勝利したといわれています。

▲宮本武蔵

ヒント1:画家としても『枯木鳴鵙図こぼくめいげきず』といった名画を残している

宮本武蔵は剣豪だけでなく、水墨画を描く画家としての一面も持っていました。

▲『枯木鳴鵙図』

上の作品は彼の代表作である『枯木鳴鵙図』です。枝を這い上る虫と、それを鋭い目で見つめる野鳥の姿が描かれています。彼は自らの武術の奥義を説いた『五輪書ごりんのしょ』の中で、絵画などの芸事に関わることも兵法を鍛錬する手段であると述べており、そのことが緊張感のある構図や作風に反映されています。

ヒント2:晩年には島原の乱に幕府側から参戦

島原の乱は、1637年に肥前国で起こった一揆です。天草四郎を指導者に据えたキリシタンや農民が江戸幕府に対して反乱を起こしました。

▲天草四郎

すでに50代となっていた宮本武蔵でしたが、養子とともに島原の乱に幕府軍として参戦しました。しかし、農民らが立てこもっていた原城を鎮圧した時に、落とされた石に当たって負傷したといわれています。彼ほどの剣豪でも上から石を落とされたらたまったものではなかったようです。

ヒント3:佐々木小次郎との巌流島の決戦で有名

▲巌流島にある宮本武蔵と佐々木小次郎の像 via Wikimedia Commons Muyo CC BY 3.0(画像を加工しています)

ある時、諸国を回り修行をしていた宮本武蔵は、道場を開いていた佐々木小次郎に決闘を申し込みました。その決闘会場となったのが、現在の山口県にある巌流島でした。決戦の日、宮本武蔵は時間になっても巌流島にやってきません。2時間遅れて武蔵が巌流島に到着した瞬間、小次郎はしびれを切らしたのか、すぐさま刀を振り下ろしました。しかし、刀は武蔵の鉢巻きを切っただけでした。そして、武蔵は船のオールを削って作った木剣で小次郎の頭を打ちました。このようにして「巌流島の決戦」は宮本武蔵の勝利に終わりました。

(巌流島の決戦については後の伝記小説での脚色があることが多く、詳しい内容については諸説あります。)


僕は宮本武蔵の水墨画は見たことないので生で見てみたいです。ぜひ次回の「今日の一問・社会編」も楽しみにしてください!

【前回の「社会編」はこちら】

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この記事を書いた人

松井一将

松井一将(マツイカズマサ)と申します。京都大学で美学・美術を勉強しています。クイズもしています。読者の皆さんの人生にちょっとした豊かさを与えられるような記事を書ければと思います。よろしくお願いします!

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