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「これ、パパの字だ……!」

三菱一号館美術館の前で日記帳を拾ったアンは、声を弾ませページをめくった。

まだまだこの物語には続きがありそうだ。そう思った私は、アンを近くのカフェに誘った。続きの文章は、ゆっくり腰を落ち着けてから読むことにしよう。

ーこれから先の謎は丸の内を離れても解き明かすことができます。どうぞアンたちのように、カフェやおうちで楽しみください。

7月1日

京にイギリスから娘が遊びに来ることになった。久しぶりに会えるのも嬉しいが、アンには東京の素晴らしい建築物をたくさん見ていってほしい。丸の内の建物なんて良いのではないだろうか。

私が学生の頃、丸の内は味気のないオフィス街という印象しかなかったが、この20年で大きく変わった。なんでも、丸の内仲通りの整備が今のにぎわいに大きく関わっているらしい。少し調べてみよう……。

7月12日

浜東北線に乗っていたら、寝てしまったようだ。東京駅まで来ていた。アンに紹介する建物を調べるのにちょうどいい機会だと思い電車を降りて、丸ビルに行ってみた。何度見ても良い建物だ。

以前私の父が「今でこそ東京ドームが大きさの基準になっているが、私の若い頃は霞が関ビルだった。その前は丸ビルだったらしい」と言っていた。東京ドームは124万m3くらいだが、建て替え前の旧丸ビルは30万m3くらいのはずだ。今では丸ビルで数えるのが難しいくらい大きな建物が増えた。

丸ビルが建て替えられたのは、2002年。入ってすぐのところに「マルキューブ」という広いイベントスペースがあって驚いたものだ。冬に通りがかったときは、毛糸か何かの大きなツリーが飾られていた。クリスマスイベントだったのだろうか。ともあれ、外からはもちろん、丸ビルの各フロアからも見えるように作られているので、宣伝やイベントにもってこいの場所なのは確かだろう。

7月29日

舎の中で私が最も好きなのは、やはり東京駅だ。大正3年に営業を開始して以来、関東大震災の被害も免れ順調と見えたが……。やはり空襲は避けられなかった。戦後間もない財政の状況では、戦前と同じ姿には戻せなかったらしい。明治〜大正時代に行なった工事の際、松丸太を約1万8000本鉄骨を約3157tも用いており、東京駅作りには相当お金がかかっていたようだから、仕方ないのかもしれない。

その後しばらく経ってから復原工事が始まって、完成したのは2012年。生きているうちに、開業当時と同じ姿を見ることができて良かった。2014年には開業100周年の記念品が売られていたのも、記憶に新しい。アンにもこの駅舎は絶対に見せてあげたい。私は仲通りから歩いて行幸通りに出たときのこの開放感がとても好きだ。アンにも同じように感じてもらうためには、どうしたらいいだろう……。

8月10日

ートPCを新調した。アンには、ちょっとしたサプライズを用意することにした。新しいPCで準備を進めるとしよう。

今日は仲通りへ行った。並び立つそれぞれの建物に個性が感じられるが、これは建物正面部分のデザインルールの緩和から来ているようだ。

以前の丸の内仲通りは、平日のみスーツを着た人で溢れかえり、休みの日はひっそりしていたように思うが、今や休みの日にわざわざ遊びに来ても楽しめる街だ。丸ビルの建て替え新しい店の誘致「丸の内カフェ」の実施など、丸の内の街を活性化させるために本当にたくさんの取り組みが行われてきたようだが、その取り組み全てが成功しているという点もすごい。丸の内には、ただ街をつくるだけでなく、継続的に街の魅力を生み出していく「街を育てる」という意識が根付いているのだろう。丸の内は、きっとこれからも発展していく街だ。こういった街づくりの思いも、アンに伝えられたらいいが……。

8月23日

を覗くと、緑の深い中庭が見えた。今、三菱一号館美術館に来ている。

三菱一号館美術館にて、開催中の「1894 Visions」展でルドンの『グラン・ブーケ』を見る。『グラン・ブーケ』はルドンのパステル画としては最大級のもので、食堂の装飾画だったらしい。食堂を飾っていた他の装飾画はオルセー美術館に所蔵されているようなので、いつか行って見てみたい。

「三菱一号館」は、明治27年にイギリス人の建築家であるジョサイア・コンドルによって設計されたレンガ造の建物だ。クイーン・アン様式が採用されており、上品で優雅な印象を受ける。アシンメトリーな部分もまた面白い。

昔の三菱一号館は、三菱合資会社や銀行が入る丸の内初のオフィスビルだった。建物は高度成長期に一度解体されたが、その後コンドルの設計を可能な限り忠実に復元、2010年に美術館として開館した。保存部材なども一部再利用されている。魅力の多い建物だ。

9月5日

ヤキが仲通りの街路樹に使われていることは知っていたが、最近よく歩くうちに、同じ通りの中でも木の雰囲気が変わることに気がついた。どうやら、何種類もの街路樹が植えられているらしい。以前はユリノキのみだったと聞いたが、なぜ街路樹の種類が変わったのだろう。気になったので調べてみた。

ユリノキは剪定せんていがしやすく落ちた葉の清掃もしやすいという特徴がある。しかし丸の内の活性化にあたって、しっかりした街並みを作る一端となるとともに、ゆくゆくは大きな緑のアーチとなるような木を植えるという目的で、ケヤキが選ばれた。実際、今の仲通りは夏も大きな木陰に囲まれて涼しい

他の種類の街路樹を植えたのは、歩くと様々な木が出迎えてくれるような、場所ごとに異なる空間を演出するためだという。つまり私は、思惑通りの感想を抱いたというわけだ。これは恐れ入った。

9月20日

っと考えていたことではあるが、アンは自力で私のサプライズを解決できるだろうか。いささか難しかったかもしれない。いや、でももうアンは12歳になる。きっと大丈夫だろう。

私が毎年楽しみにしている丸の内のイベントに、「ラ・フォル・ジュルネ」という音楽祭がある。昨年のゴールデンウィークにも訪れた。今年は残念ながら中止になってしまったが、毎年国内外から優秀な音楽家を呼んで数日間開催しているので、とても見応えがあり、ヨーロッパの伝統的な音楽祭を彷彿とさせる。

他にも、丸の内にはストリートギャラリーが多くある。熊や鳥といった動物から、もっと抽象的なモチーフまで様々な作品を楽しむことができ、さながら街全体が大きな美術館といったところだ。特に印象的な『Animal』を、どうにかしてアンにじっくり見てもらいたいが……。丸ビルの中にもアート作品があるし、丸の内は芸術にも特化している街なのだなあ。

10月3日

ストランの予約もしたし、あとはアンが来るのを待つだけだ。慣れないことをするせいか、年甲斐もなくそわそわしている……。

丸の内のここ20年についてはかなり調べたが、ビジネス街になる以前についても気になったので調べた。ここに書き残しておこうと思う。

江戸時代は大名屋敷街だったそうだが、安政の大地震でほとんど焼失してしまったらしい。屋敷跡は明治維新後に軍の施設などになり、ビジネス街どころか人が集まる場所ですらなかったようだ。

ところがその後、三菱社の社長が丸の内の土地一帯を購入し、街づくりが始まる。当然のことながら、購入当初は荒れ地が広がるのみ。しかし次第にイギリス風の赤レンガ造りの建物が並ぶようになり、「一丁倫敦ロンドン」とまで呼ばれるようになったという。その後、東京駅旧丸ビル、と主要な建物が建ち、関東大震災の被害が少なかったこともあって、土地は次第に今の地位へと上りつめたようだ。

さて、2週間後にはもうアンが来てしまう。最後の仕上げに取りかかるとしよう。

追記:アン。この日記帳を見たら、大きな頭文字を拾って読んでごらん。きっと何かを教えてくれるはずだよ。

この記事を書いた人

アンの父

アンの父、小太郎です。 娘のアンとは離れて暮らしており、私は東京で建築家をしています。 娘は妻の祖国、イギリスで暮らしています。

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